チェスキー・クルムロフ

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チェスキー・クルムロフ (チェコ語:Český Krumlov、ドイツ語:Krumau (Krummau) an der Moldau、またはBöhmisch Krumau (Krummau)、ラテン語表記:Crumlaw)は、チェコ・南ボヘミア州の小さな都市。クルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財で知られる。クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味し、ドイツ語のKrumme Aueをその語源とする。チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」という意味であり、これによりモラヴィアにあるモラヴスキー・クルムロフ(Moravský Krumlov)と区別される。1920年以前はクルマウ・アン・デア・モルダウという名称で知られ、古い地図には単にクルマウ(Krumau)と記載されていることが多い

クルムロフ城 - 小さな町であるクルムロフの大きさに不釣り合いな大きさの城である。城内には1766年完成のバロック様式の劇場が保存されている。機械仕掛けの舞台装置を備える。こういった宮廷劇場が今も存在する 。建設当時、劇場は年に三回だけ利用された(年に二度のみ、バロック音楽が一般公開されロウソク灯りの中でオペラが演じられた)。
聖ヴィトゥス教会(Kostel Sv. Víta) - 15世紀のフレスコ画を持つ教会
かつて町に住んでいたことのある、20世紀初頭の表現主義の画家エゴン・シーレにちなんだ美術館がある。
ボヘミアでも有数の古い修道院、ズラター・コルナ修道院がクルムロフから10キロの地点にある。クルムロフから30キロ離れた場所には12世紀に建てられたフルボカー城(後世にウィンザー城を真似て再建された)がある。

クルムロフはチェコ最大の国立公園シュマヴァ国立公園に近い。シュマヴァ山地はオーストリア・ドイツ国境沿いにある。

ミュシャの出身国です(゚Д゚)、

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アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、チェコ語の発音を日本語表記すると「ムハ」または「ムッハ」となる。

多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。代表作として『ジスモンダ』、『黄道12宮』、『4芸術(詩、ダンス、絵画、音楽)』等があげられる。

オーストリア帝国のモラヴィア(現代のチェコ)イヴァンチツェに生まれた。ブルノ中学校に入り教会の聖歌隊となった。夏休みに合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とした。中学校を中退、地方裁判所で働く。19歳でウィーンに行き舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通う。2年後失業。1883年ミクロフでクーエン・ブラシ伯爵に会い、その弟のエゴン伯爵がパトロンとなる。25歳のときエゴン伯爵の援助でミュンヘン美術アカデミー入学、卒業し、28歳のときパリにてアカデミー・ジュリアンで美術を学んだ。

必見!

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聖ヴィート大聖堂 (チェコ語:Katedrála svatého Víta)はチェコのプラハにある大聖堂で、プラハ大司教の主座である。 大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイテフ(Vojtěch)大聖堂」である。 プラハ城の内側に位置し、多くのボヘミア王の墓を有する。この大聖堂はゴシック建築の代表例であり、チェコで最も大きくて重要な教会である。

大聖堂が現在ある場所に最初の教会(これもまた聖ヴィートに捧げられていた)が建てられたのは925年のことで、ボヘミア公のヴァーツラフ1世によって初期ロマネスク様式のロトンダ(円形建築)が建設された。 聖ヴィートが守護聖人として選ばれたのは、ヴァーツラフがハインリヒ1世から聖遺物、すなわち「聖ヴィートの腕」を与えられたからである。 また同時にヴァーツラフは、民衆がキリスト教への改宗に抵抗を感じないよう、スラブの太陽神スヴァンテヴィト(Svantevit)によく似た響きを持つ名前の聖人を選んだともいう。 二つの宗教人口は、キリスト教徒が増加し、土着の宗教人口は減少したが、少なくとも11世紀まではプラハ城内に共存していた。

1060年にはプラハに司教区が置かれた。小さなロトンダでは熱心な信者に対応しきれなくなり、スピチフニェフ2世は大規模な教会の建築に乗り出した。 典型的ロマネスク様式のかなり大きなバシリカが、同じ場所に建設された。 まだ完全には解明されてはいないが、側廊が3本のバシリカとクワイアが2つ、西の翼廊につながる塔が1対という規模だと多くの専門家は考えている。 大聖堂のデザインは神聖ローマ帝国のロマネスク様式であり、ヒルデスハイムの聖ミカエル教会やシュパイアー大聖堂に似ている。 ロトンダの南アプスが新しい教会の東翼廊に取り込まれたのは、そこに聖ヴァーツラフ、すなわちヴァーツラフ公の墓があったためで、彼はこのときからチェコの王子の守護聖人となった。 司教の邸宅もまた新しい教会の南に建てられ、12世紀中ごろにはかなり広げられて大きなものとなった。

プラハ城

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プラハ城(チェコ語:Pražský hrad)はプラハにある城。かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所である。ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている。プラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城である)、長さは約570m、平均の幅は約130mである。

プラハ城には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院、そして宮殿、庭園、尖塔が含まれており、先の千年間のあらゆる建築様式を実態的にあらわしている。

城内の大部分は観光客に開かれており、現在、城の建物には国立美術館ボヘミアバロック部門、国立美術館ヨーロッパ絵画・中世部門、チェコの歴史について展示する国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ルドルフ2世の収蔵品をもとにしたプラハ城絵画美術館といったいくつかの博物館が存在する。

また、夏のシェイクスピア演劇祭がプラハ城の中庭で定期的に開催されている。

プラハ城のある周辺はフラッチャニ(城の丘)と呼ばれている。プラハ全市の主な観光名所は深夜0時までライトアップされるが、フラッチャニに浮かぶライトアップされたプラハ城の姿は美しい。しかしプラハの夏至前後はサマータイムの影響もあり夜の22時近くにならないと完全に暗くならない。夜の治安も比較的安定しているプラハ市は、夜に名所を巡って歩く観光客も多い。プラハの他の名所のライトアップも見たいのなら早く夜がやってくる秋こそ観光にふさわしい。

プラハ歴史地区ぱーと1

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プラハ歴史地区(プラハれきしちく)はチェコ、プラハにあるユネスコ世界遺産の日本における呼称である。1992年に登録された。
プラハ市街中心部、ヴルタヴァ川の東岸に位置する旧市街から南の新市街まで、西岸のフラッチャニ地区およびマラー・ストラナ地区、計866ha が登録対象地域となっており、11世紀から18世紀にかけてのさまざまな時代様式の建築物が残る。